第1334冊目 成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール [単行本] ダグ・レモフ (著), エリカ・ウールウェイ (著), ケイティ・イェッツイ (著)


成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール


無意識にできるようになれば、創造性が解き放たれる


ジョン・ウッデンの次のことばが、ルール3の次の段階を的確に表している――「反復練習によってできた基礎の上に、個性と想像力が開花する」。意識せず効率よく動くために、体で覚えていることの大切さを示したのがルール3だとすれば、ルール4は、「無意識」が仕事をしているあいだに「意識」がすることに注目する。1日のうちでもっとも創造的に考えているのはいつか、自分の胸に聞いてみよう。シャワーを浴びているとき、車を運転しているとき、歯を磨いているとき、ジョギング中――おそらくそんなときではないだろうか。つまり、すでに何千回とやって、もはや機械的にできることをやっているときだ。自動的に何かをしているとき、心は創造的に考えていることが多い。さらに創造的になる方法は、すらすらとできなかった場面で心に余裕を持たせる。つまり、そういう状況で必要なスキルを自動化することだ。


アスリートはよく一定の経験と練習を積んだあと、試合の「スピードが落ちた」ように感じる。これはある時点から、複雑な動きにまわされる処理能力が減って、その文、新たに使える処理能力が増えたせいだ。ふと顔を上げると、フリーの味方や、パスコースが見えるようになる。よく出てくるスキルの自動化と創造性のつながりを示す例である。ヨハン・クライフの話を引用すると、もっとわかりやすい。


ヨハン・クライフはサッカー史で5本の指に入る偉大な選手であり、とりわけその創造性が讃えられた。試合中、当然こうするだろうと誰もが思うところでまったくちがうことをして、絶大な効果をあげた。あるインタビューでクライフは、若いこと自分よりすぐれていたが成功しなかった選手をあげてほしいと言われて、何人かの名前をあげたあと、こう言った。「彼らはとてもいい選手だった。だが、ある瞬間、ボールを2メートルではなく50センチ以内で動かさなければならなかったとき、つまり、50センチ動くとプレッシャーがかかって相手に奪われてしまうというときに、もっとすばやく動く必要があった。もっと速くないとだめだったんだ」。


クライフは、もっとも重要なスキル――20パーセント――の自動化ができていたと言ったのだ。そこが自動でできたので、やりながらほかのことを考えやすくなった。「創造性」は「練習」の別の姿であることが多い。もっと創造的になりたいなら、別の部分を自動化すると役に立つ。重大な局面で創造性を発揮したいなら、そういうときに必要なスキルを見きわめて自動化し、処理能力を創造的な思考に振り向けるのだ。


ここで少し、アメリカの多くの教育者を苛立たせている論争について考えてみよう。論点は「反復練習を増やすこと」である。多くの教育者は、私たちとは逆に、反復練習を高次思考の敵だと考えている(軽蔑的な「反復練習で殺す」という言いまわしにそれがよく表れている」。彼らによって、想像力にとって反復練習は明らかに「災い」でしかない。暗記と自動化の詰めこみ教育は、生徒の創造的な思考や認知の飛躍の妨げになると主張する。


問題は、学習が一般にそのようには進まないことだ。ダニエル・ウィリンガムをはじめとする認知科学者が指摘するように、しっかり確立したスキルと、事実にもとづく大量の知識がなければ、高次元の思考はまず生まれない。認知の飛躍、直感、ひらめきなど「先見性」にかかわる思考は、課題の低次の部分に使う処理能力を最小にして、高次のほうに割り振ることで促進される。基礎的な作業を無視するのではなく、考えずに飛び越えられるようにするのだ。機械的手順と創造性のあいだの相乗効果は、アジア各国ではもっと受け入れられている。「アメリカ人はクリティカルシンキング機械的手順をきっちりふたつに分けてしまった。一方はいいもの、もう一方は悪いものとして」と日本の学校に関するある研究書は述べている。その研究では、さまざまな種類の高次思考が、機械的作業の学習を基礎とし、必要としていることがわかった。それまで困難だった状況から心が解放されることによって、創造性が生まれる例は数知れない。


ダグがかつてビジネススクールで、何人かとマクロ経済の問題を解こうとしたときのことだ。ホワイトボードに走り書きされたその問題は、何十もの変数がある方程式で、とても解けそうになかった。するとメンバーのひとり――東ヨーロッパで教育を受けていたのは偶然ではないだろう――がホワイトボードに歩み寄った。「この式のこの部分はマイナスになる」と8つか9つの変数を丸で囲みながら言った。「この係数はマイナスで、ほかはすべてマイナスだ」。さらにふたつの変数の連なりを囲んだ。「このふたつはプラスになる。こっちは変数がすべてプラスだし、こっちはマイナスをふたつかけてるから。したがって、この式はマイナス×プラス×プラスだから、答えはマイナスになる」と言って腰をおろした。「つまり、ぼくたちは全員破産する」。いままで誰もやらなかった方法で
彼は問題をひと飛びで解いてみせたのだ。機械的な作業を無視したわけではなく、あまりにもたやすくやってしまえたので、ほかのことを考える余裕ができた。


平凡な部分を飛ばすためには、それらを知り尽くさなければならない。ジョン・ウッデンは、「予期せぬ困難な事態にむつかったときに、私のチームが思いつくことに対戦相手と同じくらい驚きたい」と言った。意外なのは、ウッデンの考える、そこに至るまでの方法だ。すなわち、反復練習をくり返しておけば、いざというときに選手の創造性が発揮される。


反復回数を増やせば創造性と個性が引き出されるというアイデアを、私たちも教師のワークショップで実験してみた。〈説得〉という反復練習で、だらしなく座っている生徒を正しく座らせるものだ。参加者は、教師、生徒、(フィードバックを与える)コーチという3つの役を順に演じ、声を出さずに生徒に指示してしたがわせる。初回の実験では、中断しないで2、3巡やってもらった。みな考えながら演じていて、一応最後までやるのだが、終始ぎこちなく、自分のものにするにはほど遠かった。そこで私たちは簡単な変更を加えた。


まずグループを半分にわけた。8人でしていた練習が4人になり、各人の練習回数は2倍になった。最初の試みでは、やり方にばらつきがあり、いろいろな身ぶりには、うまくいくもの、いかないものもあった。たとえば、大げさに手を振るのは奇妙で不自然だった。しかし時間がたつにつれ、グループ全体が理解してきたらしく、成功するアイデアが現れはじめた。この練習がうまくいくときの理想型、すなわち左右対称のゆっくりと落ち着いた動作が出てきて、バリエーションは減った。互いにアイデアを活用し合って、動きが似かよってきた。ほら、やはり反復練習は創造性を抑えこむではないか、と主張する教育者もいるかもしれない。ところが、やがて奇妙なことがおきた 。練習を続けるうちに、ふたたびバリエーションが出てきたのだ。教師たちは身ぶりや口調に微妙な変更を加え、自分なりのスタイルを見つけていった。少し厳しくなる人も、やさしくなる人もいた。身ぶり手ぶりで意思疎通を図る人や、顔の表情を重視する人も。バリエーションが復活し、創造性が戻ってきた――最初より範囲は狭いが、効率はよくなっていた。


ワークショップで15回から20回ほどこの練習をくり返したあとで、ひとりの教師がとりわけ意義深い発言をした。最後の練習では、もっともやる気があって前向きな生徒が、この日はたまたま冴えないという前提を用いていた。「そのとき、日陰からではなく、日向から生徒に近づいている気がしたの」とその教師は言った。「生徒の行動を正すのは同じだけれど、もっと前向きなものだった。彼女のことを気にかけていたから。これはいつもとはちがうと感じて、『毎回こんなふうに日向から教えられればいいのに』と思いはじめた。


私たち3人はその教師のことばに何度も立ち返っている。元気づけられるし、力強さを感じるからだ。「教える」仕事にたずさわる人らしいことばで、私たちがなぜこの仕事をこれほど愛しているのかをうまく言い表している。また、楽しくない平凡な練習を何度も何度もくり返して、ようやく得られる考えであるところも気に入っている。この考えは、一見ありふれた練習なしでは生まれなかったかもしれない。くり返しが深い思考をうながし、知恵を授けたのだ。