第1020冊目  聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書) [新書]阿川 佐和子 (著)


目の高さを合わせる


身長百五十センチの私はめったにそういうことはないのですが、たまに、話す相手の視線が私より低いところにある場合があります。そういうときは、あえて相手の視線の高さに自分の視線を落とすようにします。

仕事を始める以前、私立小学校の図書館でアルバイトをしていたことがあります。

「おねえさん、この本、どういうお話?」

二年生がそばに来て、私を見上げて恐る恐る質問してきたら。私は即座にその場に座り込み、その小学生と同じ目の高さに揃えるようにしました。なぜそんなことをしたのか。自分でもよくわからないのですが、そうするほうが、その子供の身体、声、そして気持にぐっと近づける気がしたし、実際、高いところから話をするよりも、子供と仲良くなれる実感があったからでしょうか。

大学時代、クラブ活動の人間関係で揉めて、何を揉めたのか詳しいことは忘れましたが、一年上の男性学生に抗議に行ったことがあります。同好会の部屋の中で、その先輩男子学生は椅子に腰掛けていました。私はその先輩に腹を立てていたので、言葉こそ丁寧ではありましたが、どうやら憤慨が態度に表れていたようです。しばらく言い合いをしたのち、先輩が私に言い放ったのです。

「なんだ、その態度は。たったまま、腕なんか組んで」

その瞬間、ムッとしたものの、たしかに私は生意気だなと、初めて気づかされました。いくら自分の発言が正当なものであろうとも、目上の人の前で、高い視線から、しかも腕を組んで話をするのは、まことに無礼極まりない。即座に腕をほどき、「でも、やっぱりそういうことは、やめてほしいですけど!」などと、精一杯の主張を残してその場を去りましたが、あの忠告はいまだに忘れられません。

相手より高い視線から話をする。相手の前で腕を組む。その二点については、ときどき、「あ、いかんいかん」と慌てることがあります。ついリラックスすると腕を組み、見下ろす視線で偉そうに話をしてしまうことがありますが、注意しないと誤解を招くことになりかねません。

ことに自分がインタビューをする立場にあるときは、できるだけ相手の視線より高いところから聞かないようにしなくてはならないでしょう。逆に言えば、少し下から尋ねると、なんとなく相手は、「あ、この人は謙虚な人なんだな。自分に危害を加える恐れはなさそうだな」と安心し、緊張せずに話してくれるのではないでしょうか。

さきほど触れたように、仕事をする以前、私は私立の小学校の図書館でアルバイトをしておりました。図書室の隣に、低学年用の絵本や童話が置かれている「低学年室」という小さな部屋があり、そこでごろんと床に横たわったり座り込んだり、自由な格好で読書ができるよう、靴を脱いで、靴下で歩き回れるスペースになっていました。

ある放課後のこと、いつもは低学年が読書をするその部屋に、靴を脱がないまま、膝立ちで入り込み、本を読んでいた六年生の男子生徒がいました。

私が部屋のドアのところから首を突っ込んで注意をすると、その男子生徒は私のそばまで膝歩きをして戻ってきて……、膝立ちの状態だと私の背丈の半分くらいだったのに、私の前の靴脱ぎスペースまできて、すっくと立ち上がったのです。たちまち私より大きくなりました。今まで見下ろしていた私は、今度は彼を見上げる状態です。小学六年生といえども、百六十センチ近くあったと思います。私はちょっと慌てました。

「立つと、大きいなだねえ、君は」

感心して言うと、その男の子ったら、私を見下ろしてニッコリ笑い、

「女は小さいほうが可愛い……」

一言、残して走り去っていきました。残された私は、呆然。生意気なヤツめ。でも、なんだかドキドキしたのを覚えています。

あんまり関係ない話でしたね。つまり申し上げたいのは、それほどに、見上げる意識と見下ろす意識には、違いがあるということです。人様に「お話を伺う」という気持があるとき、あるいは「苦言を呈される」という場面でも、少なくとも相手より低い位置に自分を置くことが大事なのではないでしょうか。