第1018冊目  武器としての交渉思考 (星海社新書) [新書]瀧本 哲史 (著)


武器としての交渉思考 (星海社新書)

武器としての交渉思考 (星海社新書)


言葉は最大の「武器」


本書では、交渉についてさまざまな角度から語ってきました。

しかし、私が本当にひとつだけ、これだけはみなさんに覚えておいてほしいことを明記するならば、それは「言葉こそが最大の武器である」ということになります。

このことが伝われば、本書の目的はほとんど達成したも同然です。

みなさんがふだんの生活でふつうに使っている言葉には、すさまじいパワーが秘められており、その使い方を磨くことで、とても大きなことを成し遂げることができるのです。

私は大学に在学中、弁論部に所属していました。

東大弁論部は、旧制第一高等学校以来の伝統があり、学制の改革によっていまの東京大学が設立される以前からあった組織です。

つまり、ある意味、東大の歴史よりも弁論部の歴史のほうが長いのですが、多くの人には具体的にどんな活動をしているのか知られていません。

「いったいどういうことをやっているの?」と部外の人に聞かれたとき、いつも私は「言語に関する研究を行うサークルです」と答えていました。

日本人であれば、日本語はだいたい誰でもふつうに使えます。日常生活で困ることもありません。それなのになぜ、わざわざ言語を研究する必要があるのか?

それは、「日本人は、日本語という単一言語を話す国民である」と思われていますが、じつはそうではないからです。

現実には、年代、性別、社会階層、地域、仕事の業界、属している文化圏ごとに、まったく違う日本語が使われています。

たとえば金融業界は、金融の世界だけで通じる言葉をあえて使うことで、部外者を排除しています。また法律学を学ぶとは、つまるとろこ「法律の用語」を学ぶこととほぼイコールです。

経済学も「経済用語」を学ぶことと言ってもいいですし、その他の学問分野でも、対象領域で使われる言葉を学ぶことが必須となります。

つまり、あう分野でプロフェッショナルになろうと思うのあれば、その業界で使われる言葉を、外国語を学ぶような意識で習得することが大事なわけです。

そういう業界用語を「ジャーゴン」と呼びますが、あらゆる組織で人々はジャーゴンを使うことによって、自分たちの「仲間」かどうかを判断している側面があります。

渋谷で女子高生が話している言葉も、彼女たちが仲間を識別するためのジャーゴンであるわけです。

しかし、気をつけなければならないことがあります。それは「ジャーゴンだけを使っていては、自分が属する社会のなかから出ることができない」ということです。

自分と属する組織が違う相手、違う言葉を使う人とコミュニケーションをはかるためには、相手の土俵に立って、相手に通じる言葉で話さなければなりません。

自分の外部にいる「他者」とつながり、連携し、行動をともの起こすためには、外部で話されている言葉を学ぶと同時に、自分の言葉も相手に届くように、磨き続けなければならないのです。

それを実践して見せてくれたのが、第44第アメリカ大統領の、バラク・オバマ氏です。

彼はもともと弁護士業をするかたら、貧困層の支援をする活動を続けてきました。その活動をするなかで、アメリカのメインストリームに属していないため、政策に声を届けられずにいる人がたくさんいることを知り、やがて彼らの声をまとめて地元の議員に届け、生活改善のための政策立案を促すようになります。

このコミュニティ・オーガナイザーと呼ばれる仕事を通じて、オバマ氏は人々を組織化し、要望を拾い上げ、支援を集めていく手腕を培っていきました。

そのためにたいへんに役立ったのが、彼のスピーチのうまさです。

オバマ氏はそれまで政治にほとんど関心がなかった若者やマイノリティ層の人々に対して、団結することを呼びかけ、少額の献金を集めて、政府が無視することのできない勢力へと育て上げました。

そして最終的に、彼の演説のものに集まった人々は、大統領に当選するだけの票の数となったのです。

このことから「オバマはスピーチがうまいだけで大統領になった」と言う人がいますが、話はまったく逆です。「言葉に力がある」ということは、つまりアメリカ合衆国の大統領になれるほどの力となるということになるのです。

言葉の力で国が動くのは、アメリカだけの話ではありません。

150年前の明治維新は、あれだけ大きな社会変革だったにもかかわらず、フランス革命アメリカ独立戦争と比べると、直接的な死者がたいへん少ない革命でした。

それはなぜかといえば、敵勢力を武力によって打ち負かすという運動も行われてはいましたが、その一方で、倒幕派の人々が言論を通じて意見を統一していき、仲間を増やしていくという活動を、活発に行っていたからです。

だから、あれだけ大き権力変更にもかかわらず、たいへん死者が少なかった。

明治維新というのは近代革命のなかでも、際立って言葉を武器として行われた革命だったと言えるでしょう。

いまの日本にも、閉塞感にうんざりしている若い人たちのなかから、つぎつぎと「世の中を変えたい」と考える人が出てきています。みなさんのなかにも、「どうにかして日本の未来を良くしたい」と考える、志を持った人がいることでしょう。

そう思うみなさんが、もし本気で世の中を変える力を身につけたいと思うならば、まず言葉を磨くことです。

民主主義体制の社会では、銃と大砲で政府を倒す必要はありません。それは選挙というシステムを通じて、革命を簡単に起こせるからです。

私たちのいま生きる日本は、言葉の力で政府を倒すことができるのです。