第967冊目  上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書) [新書]岡本 浩一 (著)

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

ノートをとる


ある程度、コンスタントに練習をするようになれば、どんな形でもいいから、記録やメモをとったりする工夫を始めるべきである。

茶道では、奥伝といって、流派の異なる人には見せないし、流派が同じでも、ある水準に達していない人には見ることすら禁じている点前がある。体で覚えなければならない点前なので、公然とノートをとることは許されない。けれども、実際には、どの人も、習った日には大急ぎで帰宅して、忘れぬうちにノートに書きとめるのである。一度や二度ではとても覚えられないし、一種目について年に一度稽古を受けられるかどうかなので、稽古の直前にはノートを見直し、ノートや記憶があいまいなところをみつけ、稽古に出る。稽古に出たら、そのいくつかのヤマについて真剣に手直しをしてもらい、稽古が終わったらまた急いで帰宅して、あいまいだったところを書き足すということを繰り返す。このようにするものだから、一種目についてのノートが完成するのに、数年がかかることがある。

このようなことを繰り返しながら「書き留める」という行為について発見したことがたくさんある。

まず、茶道の所作は、技能であるから、間合いや曲割(道具の位置)という、本来言語で記録しにくい要素が多い。それでも記録するためには、言葉のないところに自分なりに言葉を作っていかなければならない。茶道の炉の点前の柄杓をとる所作でなかなかうまく記憶に残らない所作があったのだけれど、それは、あるとき「そうか、手の形を形状記憶合金みたいにすればいいのだ!」と命名できたときに、解決した。言語になりにくいものでもいったん言語化することが大切なのである。つまり、技能をコード化し、コード化内容を言語にする工夫が必要である。その工夫をするプロセスで、コード化が豊富になり、コードのシステムの整合性が高くなる。

ノートをとることのメリットをもう少しあげてみよう。

まず、ノートをとるためには、何時間か後にノートがとれるように覚えていなればならない。その「覚えていなければならない」という心理的圧力は、ワーキングメモリと長期記憶にとって、とても大きな負担となる。そこで負担をかけることが、コード化能力の上昇に大きく寄与する。

また、当然ながら、ノートは、反復練習を可能にする。技能や知識のなかには、ノートがなければ復習ができないものが少なくない。先ほどあげた茶道の例もそうだが、テニスの技能などでも、そのときの感触をノートに書き留めておくことがとても役に立つことがある。

たとえば、テニスのフラットサーブのコツのひとつは、球を落とそうと思う地点より若干右を狙う感じで打つことである。そのヒッティングポイントをみつけたときは、以外に右だなと思うものである。それで、集中的にサービスの練習をすると、その右寄りのポイントをいったん体が覚えてしまうために、「右だ」という宣言的知識が忘却気味になることがある。それで三ヶ月ほどサービスをしない時期があり、サービスをすると、それを忘れているばかりにうまくいかず、かつ、
「右だ」ということを思い出さないまま球筋の調整をすると、フォームのいろいろなところが崩れてしまうことがある。ところが、若干右に狙うのだということに気づいて、それが新鮮に感じられるあいだに「意外に右だ!」などと一言ノートに書いておくと、練習のブランクがあってもそれが思い出せなくなる。そうして、確実な反復練習ができるようになるのである。

このように、技能そのものは言語で表しにくいものでも、なにか言語的に書き付けておくことで、それがきっかけとなって記憶の想起を促してくれることがある。そのメリットが意外に大きい。

一の量を経験しても、それを二の量、三の量にするように工夫するのが上達の要締である。ノートはそれを可能にしてくれる。