第2335冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • カリスマ的なボディランゲージ


休日の最終日、私は1分も無駄にせずに楽しむつもりだった。街の中心にある小さな公園を散歩しながら、太陽の下で酒を飲んでいたとき、突然、何かに注意力を喚起された。


白い野外舞台に背の低い中年男性が立ち、情熱的に演説をしていた。すぐに人が集まってきて、私もどういうわけか引き寄せられた。彼の話し方に、大きくて流れるようなジェスチャーと話すテンポに、人々を魅了する何かがあったのだ。


演説は40分以上続き、聴衆はどんどん増えて、私はすっかり夢中になってしまった。しかしあの男性が何を話していたのか、私にはいまだにわからない。というのも、これはメキシコの小さな街での出来事で、私のスペイン語は惨憺さるものなのだ。


カリスマの研究で知られるロナルド・リッジオは1時間近く演説に魅了されていたが、内容はまったく理解できなかった。彼の心を奪ったのは、演説者が「何を」しゃべっていたかではなく、「どんなふうに」しゃべっていたかだ。


言葉は、まず脳の認知機能の論理的な部分が把握し、意味を理解しようとする。それに対しボディランゲージは、直感や感情に直接、訴えかける。周りの人々を鼓舞して、理解し、思いやり、あるいは自分に従わせるためには、この感情レベルに働きかけなければならない。ビジネス界の大物アラン・ワイスは、「論理は人を考えさせ、感情は人を行動させる」と語っている。あなたはどちらを目指したいだろうか。人々の論理的な部分にしか話しかけていないなら、カリスマの舞台は半分を逃している。


カリスマは人々に感銘を与え、鼓舞し、自分は特別だという思いを抱かせる。カリスマは論理的な思考を飛び越えて、感情的な部分に話しかける。畏怖の念が理解を飛び越え、私たちの感情に触れるとしたら、カリスマも同じだ。


非言語コミュニケーションは、人間の進化において比較的新しい言語処理能力に比べて、私たちの脳に深く組み込まれており、はるかに強い影響を及ぼす。言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションが一致するときは、非言語が言語を増幅する。ただし、両者が矛盾する場合、人は非言語を信じるものだ。ボディランゲージが非カリスマ的なら、どんなに素晴らしいメッセージを発信しても意味がない。それに対し、ボディランゲージが適切なら、メッセージが不完全でもカリスマを発揮できるだろう。


メッセージの伝え方が、メッセージそのものよりはるかに大きな影響を与える場合もある。ハーバード・ビジネス・レビュー誌の調査によると、肯定的なボディランゲージを伴う否定的な評価は、否定的なボディランゲージを伴う肯定的な評価より、従業員がはるかに前向きに受け止める。


「何を」言われたかより「どんなふうに」言われたかに強く反応する傾向は、新しいクライアントを獲得しようとしているとき、新しい上司に自分を印象づけたいとき、新しい友人をつくりたいときなど、重要な場面ではとりわけ重要になる。


重要な場面で言葉よりボディランゲージに強く反応する理由は、闘争・逃走反応が働き、原始脳が機能の中心になるからだ。原始脳は、言葉やアイデアを直接理解しないが、ボディランゲージの影響は直接受ける。