第1969冊目 采配 [単行本(ソフトカバー)] 落合博満 (著)


采配

采配


明日の「予習」ではなく、今日経験したことの「復習」がすべて


子供の頃、担任の先生や親から「勉強は予習と復習が大切だ」とよく言われたものだ。私は勉強が好きではなかったから、予習も復習もせず、学校の授業だけを聞いていた。それでも、テストではまずまずの成績が取れたし、通知表の成績もよかったほうだと思う。振り返れば、勤勉ではなかったが、要領はよかったのだと思う。


だが、社会に出たら要領のよさだけでは生きていけない。


自分自身の仕事の腕を磨きながら、一定の実績を残していかなければならないからだ。では、ビジネスにも予習や復習は必要だろうか。プロ野球の世界に限れば、私自身は予習はいならいが、徹底した復習が必要だと考えている。


最近はビデオカメラの性能が格段に向上したこともあり、どの球団もライバルチームの選手のプレーを収録した映像を持っている。それも、半端な数ではない。こうした映像データの収集はアマチュア野球でも盛んに行われている。特に、次に対戦する投手についてはスピード、変化球の軌道、フォームのクセなど、あらゆる情報を慈善に視覚で確認することができる。その投手は、データ上では丸裸にされているわけだ。


では、その投手のボールをイメージ通りに打てるかといえば、そう容易ではない。


実際に打席に立ち、自分の目でボールの速さやキレを実感すると、ビデオ映像で見たものとは違うように感じられることもある。事前に情報を得ておくことは大切だが、それがすべてではないことは、どんな仕事でも一緒だろう。やはり、打席(現場)で感じたことが最も重要な情報になる。


このように、打者の場合は対戦する投手のビデオを事前に見ておくことよりも、実際に対戦した後に自分で感じたことをまとめ、次の対戦に生かしていくことが肝要だ。しかも、そのまとめ方の優劣が次の対戦結果を暗示すると言ってもいいだろう。


また、この手順は技術を習得する段階にも共通している。自分の打撃フォームを固めていくためには、正しいスイングを数多く繰り返すしか方法はない。何度もスイングを繰り返し、自分のスイングが固まってきたと感じたら、実際にボールを打ってみる。そこで思い通りの打球が飛ばなければ、また出発点に戻ってスイングを作っていく。見つかったのが小さな課題であれば、それをいかに修正するかを考える。


そうやって課題を克服しながら納得できるスイングをできるようになったら、今度は1000回振っても同じスイングができるように精度を高めていく。どんな仕事でも、ひとつの技術を身につけていく作業は地味で、相当の根気も必要になる。つまり、技術の習得法には時代の変化も進歩の当てはまらない。胎児が1日、1日と母親のお腹の中で育っていくように、コツコツをアナログで身につけていくものだ。


だからこそ、「明日取り組むことの予習」よりも「今日経験したことの復習」が大切になる。技術を身につける際、修得するスピードが速いと「センスがある」と評されることがある。実際、春季キャンプで1週間も経たないうちに、レギュラークラスと同じように動ける新人もいる。ただ、これは昔から指導者の悩みの種と言われいてるのだが、飲み込みが早い人は忘れるのも早いことが多い。


「あれ、あいつは去年はできていたのに……」


そう思わせるのは飲み込みが早い選手だ。


「こいつは何度言えばできるようになるんだ」


一方、内心でいら立つくらい飲み込みの悪い選手ほど、一度身につけた技術を安定して発揮し続ける傾向が強い。彼らの取り組みを見ていると、自分でつかみかけたり、アドバイスされた技術を忘れてはいけないと、何度も何度も反復練習をしている。自分は不器用だと自覚している人ほど、しっかりと復習するものなのかもしれない。技術事に関しては、飲み込みの早さが必ずしも高い修得率にはつながらない。だからこそ、じっくりと復習することが大切というのが私の持論だ。