第1123冊目  私の財産告白 [単行本]本多 静六 (著)


私の財産告白

私の財産告白


天才恐るる足らず


なんでもよろしい、仕事を一生懸命やる。なんでもよろしい、職業を道楽化するまで打ち込む、これが平凡人の自己を大成する唯一の途である。世の中には天才だけにしかできぬという仕事はあまりない。少なくとも、職業と名のつく職業であれば、すべては平凡人の努力によって、完全にこれを道楽化する処までいけるものだ。今日の学問からおいうと、本当の天才は、天才的な遺伝要素が必要で、われわれ凡人は本当の天才になれない。だが、いかに不得手なことでも、一生懸命やれば上手なれ、好きにもなれ、天才にはなれなくとも、まず天才に近いものにまではなれる。私もいろいろな体験からこうと気付いたのであるが、後にゲーテの『天才論』をみたら、やはり「天才とは努力なり」と、同じような結論が出ていて、はなはだしくわが意を得た次第だった。


そこでわれわれは、かりに一歩を天才に譲るとはしても、努力による「亜天才」をば志さなければならない。何も初めから遠慮して天才に負けてしまう必要はない。「天才マイナス努力」には、「凡才プラス努力」のほうが必ず勝てる。私は八十年来これでずっと押し通してきて、何事にもそれほど見苦しいひけを取ってきたとも思わない。


さてここに、凡才者の天才者に対する必勝――とまではいかなくとも、少なくとも不敗の――職業戦術がある。


それは「仕事に追われないで、仕事を追う」ことである。つまり天才が一時間かかってやるところを、二時間やって追いつき、三時間かかって追い越すことである。今日の仕事を今日片付けるのはもちろん、明日の仕事を今日に、明後日の仕事を明日に、さらにすすんでは今日にも引きつけることである。

冒頭に述べた桂大将のやり方がすなわちこれである。いうまでもなく桂大将は陸軍切っての偉材であっただろうが、桂さんでなくとも、桂さんだけの勉強をつづければ、桂さんに近いものに必ずなれたに相異ない。それをわれわれ凡人はめざそうというのである。


普通一般のサラリーマン訓――威張っていた旧軍人といえども、たしかにサラリーマンの一種――としても、自分に与えられた仕事を速やかに、完全にやることは必要だ。まして凡人が天才と競争するには、この努力が絶対で、さらに彼らが眠っている間も、なまけている間も、こちらは怠らず次の仕事に準備し、次の仕事を用意しなければならぬのである。


冗談をいってはいけない、われわれは仕事を追うどころか、せいぜい仕事につかまっていくのが精一パイである、という人があるかも知れない。しかし概して今日の職業、章場の多くは――有り難いことには、労働基準法というものがあって――そんなにも過労を強いるものではない。普通人が普通につとめて必ずついていけるものである。だから、普通人が普通人よりちょっと努力し、ちょっと手際よく工夫するだけも、次から次へと勉強の先回りをする余裕はいくらでもできてくるものと私は考える。