第993冊目  負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書) [新書]丹羽 宇一郎 (著)

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

自分の評価は他人が決める――私を変えた一言


私の経験から言うと、若いときというのは、小生意気なものです。会社ではトンボにもなっておらず、まだアリの段階なのに、自分の担当しちえる仕事がすべてだと思って、「俺はこれだけやっている」という強烈な自負心が芽生えてくるのです。

上司の立場から言うと、とくに入社10年くらい経った人が、一番始末が悪い。同じ分野の仕事を続けていれば、それなりに業務に習熟してきます。すると、「この分野については俺が一番だ」とか、「俺は何でも知っている」という気持ちになるのです。ついでに周りが皆、バカに見えてくる。実際、現場のことをよく知っているのは、こうした10年社員であることが多いのですから、仕方のない話かもしれません。

私の場合、入社当時から始末が悪かった。相当に鼻っ柱の強い新入社員でしたから、「なんだ、あいつは」と思われることもしばしばだったのではないかと思います。名古屋郊外の田舎で育ち、言葉遣いやマナーも知りませんでした。背広は一着だけしか持っていませんでしたし、髪はボサボサで、およそ世間がイメージする商社マンにあるまじき姿です。入社後、しばらくして上司から「ポマードくらいつけてこい」と言われたことがありましたが、「なんでそんなものをつけなきゃいけなんだ」と反発していました。

入社1年目で、私は組合の役員をやることになりました。学生運動をやっていたということが周囲に知られるようになり、それならあいつに役員をやらせようということになったのです。今でこそ、組合の役員はある程度の社歴がある人がなるものですが、当時は必ずしもそうではありませんでした。上司ににらまれたくないから、若い社員にやらせようと周囲が考えたのかもしれません。

そこでさっそく組合大会に参加しました。当時は、昇給のことであれこれと議論していたと思います。私は、手を挙げて「ストライキをやれ!」と発言しました。会議の場で発言することに物怖じしないタイプです。ごちゃごちゃとくだらない話をしていたって仕方がない。経営陣にダメージを与えるにはストライキしかないと言ったのですが、周りは呆然としていました。

「こんなのに組合をやらせておいたら、えらいことになる」と人事部長は思ったのでしょう。「社長秘書になってはどうか」と打診されました。社長秘書は組合には入れないからです。

他の人にとってみれば、入社1年目で社長秘書になるのは「白羽の矢」かもしれませが、私は社長室の綺麗なフロアにも興味がないし、そもそも背広も一着だけなのですから、小綺麗な格好もできません。「私の上司が秘書をやれというならお引き受けしますが、私としてはお断りします」とはっきり言いました。結局、本部長が断ってくれたので、事なきを得ました。

一事が万事その調子でしたから、周囲からもかなり生意気なやつだと反感を買っていたことと思います。また、先にも述べたように、当時の私は雑用ばかりで、「俺はこんなくだらないことをやるために会社に入ってのではない」と思っていました。入社してすぐの頃は、いったん整理してしまった六法全書を買いなおして、いずれ会社を辞めて司法試験を受けようと考えていたくらいです。

「一体俺を何だと思っているんだ。こんな雑用ばかりやらせやがって」とか「俺はお前たちと違ってものすごい読書をしているんだ。それなのに、何も知らないやつが偉そうにしやがって」などと内心毒づいていたりしたのですが、それが態度にもあからさまに出ていたのでしょう。あるとき、当時の課長代理だった故・田付千男さんが酒の席で私にこう言ったのです。

「丹羽君、君は自分の能力を自分で評価しているようだけど、自分の能力は他人が評価するもんなんだ。自分でしちゃいけないよ」

私はこの言葉に、ものすごくショックを受けました。頭をガーンと殴られたような衝撃だった。

そのうちに、彼が言っていた言葉の意味がわかるようになりました。会社においては、自分の評価など何の足しにもならないのです。

本書で繰り返し述べているように、まずはアリのように働く。若手の社員は、社会人として教育してもらっている間にも月給をもらっているのですから。そうやってがんばった結果は、後から必ずついてきます。

付け加えて言えば、会社における評価の基準とは何かというと、私は「周りからどれだけ必要とされるか」だと思っています。「この人だからこそ任せよう」とか、「あなたがいないと困る」といった具合に、周囲から必要とされる人間になることです。自分で自分の能力が高いと評価しているうちは、まだまだなのです。