第143冊目 人生と財産 私の財産告白 著者/訳者名 本多静六/著

人生と財産―私の財産告白

人生と財産―私の財産告白

遺言状を常備せよ

我が家では、昔から買い物はすべて現金主義であった。なんでも必要なものは、現金をもって、こちらから買いに出かけた。

私の家では、衣服などについて、いつもつもり買いのつもり貯金というものをやった。すなわち、呉服屋のショウ・ウインドウを外から眺めさせて、気に入った柄、気に入ったものはいつでも望み通りに買うことに賛成した、賛成はするが、それを即座に持ち帰るのではない。ただ買ったつもり(気分)にさせるだけだ。

みんなが物を大事に使っているかどうか、これさえ見れば、そこの職場がすべてうまくいっているかどうか、一目でもってよくわかりさえする。

世間にはクダラヌことで大切な他人の時間をうばう悪風が少なくない。

この世の中は鏡のようなものである。だから、自分が額に八の字をよせて向かえば、世の中という鏡は自分に八の字を寄せてにらみ返す

夫婦間もくしは家族たちのあいだで、何か意見の一致をははないことがあると、お互いに二度まではその意見を主張しあうが、それでも決まらぬとなると、三度目はいつでもジャンケンで決めることになっている。

通常収入の四分の一を天引き貯金に、臨時収入は全部貯金にする。

個人的な金銭貸借をできるだけ避けること。下手な金銭貸借は恐ろしい両刃のやいばで、貸す人は、借りる人の両方を必ず傷つける。

恩は恩で返せ、断じていわゆる仇で返すようなことがあってはならぬ。しかも、その恩に恩をもって報いる謝恩は、できるかぎり早く、その時々に行うようにう努めるがよい。

一つの目的に集中すれば、必ずある程度の成果がかち得られる。したがって、何人も一点に集中、一事に沈潜し、専心その業を励むにおいては成功疑いない。

なんでもよろしい,仕事を一生懸命にやる。なんんでもよろしい、職業を道楽化するまでに打ち込む、これが平凡人の自己を大成すく唯一の途である。

実際、商人でも、会社員でも、学者でも、学生でも、少しその仕事に打ち込んで勉強しつづけさえすれば、必ずそこに趣味を生じ、熱意を生み、職業の道楽化を実現することができる。それは私の今日まで体験してきたところでもまったくあきらかである。

世間にはよく、医者の子供だから医者にならなければならないなぞと、本人の素質や志向を構わず、医者にしようと無理を強いする親もあるが、これなどまったく馬鹿の骨頂である。

重要な会議であればあるほど、まず十分に人の意見を聞いて、然るのちおもむろに自説を持ち出すのがリコウのようである。それもなるだけ人の意見に賛成し、それを補足する意味において一言する形でやる。

人を叱らねばならぬ場合は、まずその人の長所をあげて、それを補うべき一事ずつをよく注意することにしてきた。

人を使うにも、人に使われるにも、常にその周囲の人々と同和することかか最も大切である。

部下の心を自分につなぐことは、何かの頼まれごとや約束を、忘れずに必ず実行することなど最も有効な手だ。私はこのために手帳を用意して一々こくめいにメモをとっておいたのだが、頼んでいた方でわすれているような些細なことでも、このメモのおかげで忘れずに必ず実現したので、「うちのオヤジはこんなことまで覚えていてくれるのか」と、馬鹿に評判をよくしたものである。

部下や社員の持ち込んでくる意見とか提案とかは、経験と研究につんだ上級者には、常に概してつまらぬと感じられるものがおおい。しかし、それを天からつまらぬとこきおろしたり、フフンといった態度で軽くあしらってしまってはならない。

人を使うのには、人の名前を、早く、正しく覚え込むことといったが、これはなんでもないことのようで、きわめて大切なことである。

若い人々に何か仕事を頼む場合、無理にならない程度に、必ずその人の地位や力量に比して、少し上のものを選ぶようにし、「これはちょっと重要なことだナ、しかしおれにだって大丈夫できるぞ」といった気持になれるものを、適材適所に与えるようにした。

人を使うものは人に使われる、人を監督するものは人に監督される。これはどうやら、間違いのないことのようである。


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